
沖縄には神様に使える「ユタ」と呼ばれる女性たちがいます。日々の生活の中で祈りを大切にする沖縄ではユタの存在は特別なもの。ただその半面でユタは嫌う人も多いです。なぜ沖縄でユタは嫌われるのかを検証します。
そもそもユタってどんな人なの?
ユタとは、沖縄または鹿児島県の奄美群島で神に仕える女性のことを言います。その存在をわかりやすく分類すると「シャーマン」となります。
シャーマンは巫(かんなぎ)ともいわれ、神様に仕え神様の意思を人々に伝える役割を持っている人のことを言います。もちろんこうしたシャーマンは日本だけでなくほかの民族の中でも存在します。
ただ日本に限定すれば、シャーマンと呼ばれる人の性別によって「巫(女性の呼び方)」「覡(男性の呼び方)」と言い分けます。もちろん地域によっても呼び方には違いがあり、沖縄や奄美群島では「巫」のことを「ユタ」と呼びます。
ユタが交流できるのは神様だけではない
ユタが交流できるのは、神様だけではありません。ほかの民族のシャーマンが神様だけでなく精霊や亡くなった人の霊と交流できるのと同じように、ユタも神様だけでなく死んだ人の霊とも交流します。
ただユタが交流する「死んだ人の霊」というのは「祖先霊」のことだといいます。もちろん祖先の霊といっても年代によってかなりの幅があります。そのためユタが考える祖先霊には「ウサチユー(上代)」「ナカヌユー(中代)」「イマヌユー(近代)」の3つに分かれています。
さらにユタが交流できる神様にもランクがあり、交流できるランクの神様によってもユタのランクは変わってきます。
ユタを頼むのはどんな時?
ユタに神様やご先祖様の霊との交流をお願いすることを地元では「ユタにかかる」といいます。ユタにかかる理由には様々なものがありますが、もっとも代表的なものが「お墓に関すること」です。
沖縄では「門中墓」といって一族が共同で管理するお墓があります。門中墓は基本的に血縁関係のある一族であれば入ることが出来るのですが、「ご先祖様=神様」という考え方があるので条件によっては入ることが許されません。
本来門中墓に入ることが出来るのは「人の寿命を全うした人」といわれています。ここでいる「寿命」とは病気や高齢などで亡くなることを意味するので、「自殺」「事故死」「他殺」は寿命とは言いません。ですからこのような亡くなり方をした場合は門仲墓には入ることはできません。
もちろん永遠に門中墓に入れないということではありません。3~7年という時間をかけて先祖の神様に許してもらうのです。許しを得るとようやく門中墓に入ることが出来るのですが、それまでは「仮墓」に安置されます。この時に「本当に神様に許してもらえているのか」を確認するために神様との交流役を頼むのがユタというわけです。
ほかにも原因がわからない病気にかかってしまった時や家庭で問題が起きているときなど解決が難しい問題に直面した時も「知らないうちに先祖の神様を怒らせてしまっていることが問題の原因にあるのかもしれない」と考えます。このようなときもユタにかかります。
科学的に分析することは出来ないことが嫌われる理由?
ユタにかかるということは「お金」がかかります。ただユタという職業が確立されているわけではないので、お願いしたときの相場はユタによって変わります。そしてユタに神様の交流をお願いすると、1回30分ほどの時間がかかります。現在の相場はわかりませんが、昭和53年頃には1回30分の依頼で3000円が相場でした。
ただ問題はユタが語る世界が科学的に解明されていないことにあります。例えば依頼者がユタにかかったとしましょう。その内容に依頼者が納得できて、しかも問題が解決したのであれば何の問題もありません。
ただユタに依頼したとしても依頼者がその内容に納得ができなかったり、指示されたとおりに行動しても問題が全く解決しないということもあります。このような場合は、納得できる結果を出してくれるユタに出会うまでユタを捜し歩きます。これを「ユタ買い」といいます。
ユタに頼る人の多くは一家の主婦です。男性がユタにかかるということはほとんどありません。そのため基本的に沖縄の男性はユタに対してあまり好意的ではありません。もちろん神様に仕える女性としての尊敬は強く持っています。ただ男性は合理的に物事を考える性格なので、ユタが語る超自然的存在の「カミサマ」をなかなか理解できません。
ただ「大切な家族の気持ちがユタにかかることによって少しでも落ち着くならばそれでよい」という想いは非常に強いようです。そのため主婦がユタ買いをすることを積極的に肯定は出来なくても、夫として家族としての暗黙の了承はするのです。
でもユタにかかり続けるということはお金もかかります。相談の内容だけでなくどの神様と交流をするのかによっても謝礼金の額が変わりますので、延々とユタ買いを続けていけば経済的にも苦しくなります。これは別に特別なことではなく、沖縄ではよくある話。そのため「ユタ買いをして一家の財産を食いつぶしてしまった家族の話」は今でも沖縄ではよく耳にします。
それでもユタは沖縄社会からはなくならない
これまでの沖縄の歴史の中ではユタを弾圧してきたこともあります。ユタが深くかかわるトートーメー(沖縄の位牌)に関しては社会問題にもなりました。それでもユタは存在しますし、ユタの力を頼りにする人々もたくさんいます。
こういってしまうと「需要と供給があるから存在するんじゃないの?」と思うかもしれませんが、そうとは言い切れません。
そもそも沖縄の文化は独特な世界観の中で存在しています。沖縄の文化や風習も古くから伝わる沖縄固有の世界観があるからこそ、今も繋がれています。そして沖縄固有の世界観を継承する人が「ユタ」なのです。
だからユタを否定するということは、沖縄固有の世界観そのものを否定するということになります。沖縄の文化と深く関わりのあるユタの存在は、現代社会では理解されないことも多いです。でも「時代を経ても形を変えずに古の文化を受け継いでいく人」としてユタを見てみると、これまでとは違った表情が見えてくるのかもしれません。