
沖縄で家の守り神といえば、シーサーが有名。ところが家の中には、シーサーよりもはるかに強力な力を持った神さまが、トイレの中に住んでいるのだといいます。沖縄に伝わるトイレの神さまの正体とは?
沖縄のトイレはあの世とつながっている?
少し前に流行した歌謡曲に「トイレの神さま」という歌がありました。そういえば、「女の子はトイレをきれいに掃除すると美人になれる」という言い伝えもありましたね?他にも、「トイレをきれいにすると金運が上がる」なんて話もありますから、なんとなくトイレにはよい神さまがいるようなイメージがあります。
もちろん、沖縄にもトイレに神様がいます。ところがトイレそのものは、非常に恐ろしい場所だというのが、沖縄の考え方。なんでも沖縄では、トイレはあの世とつながる特殊な空間だと考えられており、あの世とこの世の境目であるトイレには、様々な悪霊が集まるといわれているのです。
沖縄のトイレの神さまは豚小屋に住んでいた?
沖縄では、トイレのことを「フール」と呼ぶことがあります。戦前の沖縄の一般的な民家では、トイレは全て屋外にありました。しかも、ただのトイレではなく、「豚小屋兼トイレ」でした。この一見するとちょっと不思議な組み合わせは、中国の影響からくるもので、琉球王朝時代に中国との貿易によって栄えた沖縄ならではのものです。
さて、この豚小屋兼トイレのことを、沖縄では「フール」といいます。現在ではこのタイプのトイレはほとんど見られなくなりましたが、かつてはどの家でもこのタイプのトイレがありました。この時代にも沖縄ではトイレに神様がいると考えられていましたので、「当時のトイレの神さまは、豚小屋に住んでいた」と言うことも出来ます。
沖縄のトイレにはとんでもない神さまがいる
「フールの神さま」と呼ばれている沖縄のトイレの神さまですが、どうやらとんでもない霊力を持った神さまだといわれています。沖縄では、便利な家の神さまとして「ヒヌカン(火の神)」がいますが、フールの神さまはヒヌカンよりもさらに強い霊力を持っているといわれており、様々な悪霊を祓う力を持っているのだそうです。
マブイを落としたらトイレで拝む
人間が生きているのは、体の中にマブイが存在しているからだと考えている沖縄。生まれる時は、それぞれがマブイをもって生まれてくるのですが、厄介なことにマブイはちょっとしたことで体からすぐに離れてしまいます。特に子供の頃は、くしゃみをしただけでも体からマブイが飛び出してしまうらしく、何かにつけてマブイを体に戻すおまじないをしなければいけません。
残念ながら、沖縄の人にとってもマブイは目で見ることはできません。ただし、マブイが体から離れてしまうと、様々な災いや病気に遭ってしまうため、このような状況が続いたときは、どこかでマブイを落としていると考えます。
もちろん落としたマブイは、きちんと体に戻さなければいけません。ただし、マブイは落とした場所に残っているため、どこで落としたのかをみつけ、その場所でマブイ込み(まぶいぐみ)をしなければいけません。でも、場合によってはどこでマブイを落としたのかがわからないこともあります。
そんな時のお願いするのが、フールの神さまです。フールの神さまの前でマブイが体に戻ってくるようにお願いすると、どこで落としたのかがわからなかったマブイがきちんと体に戻ってきます。これだけすごい力を持っているフールの神さまは、やっぱりすごい霊力の持ち主です。
実は豚にも凄い力があった
フールの神さまだけが凄い力を持っているのかと思っていたら、実はトイレ兼用の豚小屋に住む豚そのものにも、ものすごい力がありました。
その力は、豚の鳴き声に込められていると考えられており、「ブーブー」という豚の鳴き声が、質の悪い悪霊を追い払ってくれると信じられていました。
葬式の帰りは豚小屋に立ち寄る
お葬式に参列した後は、悪い霊が家の中に入り込まないように塩をまいて体を清めるという作法が日本全国で見られます。でも、フールがあったころの沖縄では、豚がその役割を果たしていました。
そのため、お葬式から帰ると、家の中に入る前に豚小屋に立ち寄り、豚を鳴かせて悪霊を祓っていました。もしも豚が眠っている場合は、わざわざ豚をたたき起こし、「ブーブー」と鳴かせてから家の中に入ったのだとか…。いくら鳴き声に悪霊払いの力があるとはいえ、豚にとっては迷惑な話だったでしょうね。
沖縄ではトイレには神様がいるのにお札もおく
沖縄では、家の中に悪霊や魔物が入ってこないように、特殊な力が込められているお札を貼る習慣が、今でも残っています。このお札のことを、沖縄では「フーフダ(符札)」と言います。
お札といえば、神さまと同じ霊力を持ったお守り札とされているので、家の中に置いておくと神さまに守られているのと同じ効果があるといわれています。そんなお札を、沖縄ではトイレにも置きます。超強力な霊力を持つ神さまがいるトイレに、なぜ、わざわざお札を置く意味があるのでしょう?
実は仏教のトイレの神さまを飾っていた
沖縄のトイレにお札として飾られているものには、「鳥芻沙摩明王」(真言宗のお札の場合は梵字表記)と書かれています。この「鳥芻沙摩明王」というのは、仏教のトイレの神様の名前。
そもそも鳥芻沙摩明王は、炎の神さまと言われており、仏教では、この世の一切の汚れを焼き尽くしてくれるありがたい明王様だといわれています。しかもその炎の威力は凄く、不浄を焼き尽くすだけでなく、清浄なものへと変えてくれる力もあるのだとか…。そのため、「不浄なものを流す場所=便所」の神さまとして、密教や禅宗のお寺では、広く祀られています。
この考え方は、沖縄のトイレのお札にも共通しています。沖縄では、仏教が一般庶民の間に広がるのが遅かったため、もともと沖縄に存在していたフールの神さまの方が浸透していたのですが、仏教の布教に伴い人々の生活の中にも仏教の考え方が広まってくると、仏教上のトイレの神さまも信仰するようになります。
本来であれば、どちらか片方の神さまを選ぶのでしょうが、沖縄のフール神信仰は風習とも密接につながっていたため、「フールの神さま」と「仏教のトイレの神さま」がトイレの中で共存する現在のような形が出来上がったのでしょう。