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沖縄の伝統・文化・歴史

琉球王国最後の国王のその後とは?

投稿日:2017年11月6日 更新日:

首里城

琉球王国は、明治政府による琉球処分を受けるまでの450年間、国王が国の象徴として君臨していました。長い琉球の歴史の最期の国王となったのが、尚泰王。彼の激動の人生を追ってみます。

琉球最後の国王・尚泰王

琉球王国最後の国王となったのが、尚泰王(しょうたいおう)です。尚泰は、第二尚氏王統の19代目の国王として、1843年8月3日に生まれました。父は、わずか15歳で実質的な王位につき、氏族の教育に尽力したといわれている尚育王、母は佐敷按司加那志です。

尚泰には、尚濬という兄がいましたが、わずか12歳という若さでこの世を去っています。そのため、尚泰は次男として生まれたものの、尚泰が2歳を迎える前に兄が亡くなっているため、実質的には跡取りとして育てられます。

幼過ぎる国王

尚泰の父である尚育も、若くして王に即位しているのですが、尚泰は、父よりもはるかに若いわずか4歳で琉球王国の国王になります。

尚泰が国王になった1848年は、日本は、とんでもない災害や事件が多発し、とても混乱した状態になっていました。大地震だけでも、小田原地震・伊賀上野地震・東海地震・南海地震・豊予海峡地震があり、小田原城大破も含め、各地方で甚大な被害が起こりました。

政治的な事件としては、6月に東インド艦隊のペリー提督が黒船を率いて浦賀沖に来航し、開国通商要求を江戸幕府に突きつけます。さらに、ロシア大使も1カ月遅れで長崎に来航し、同じく開国通商を要求。まさに、鎖国をとるか開国すべきかで、日本中が大騒動していました。

まさに国家レベルの災害や事件が一度におこった1848年に、琉球王国では、わずか4歳の国王が誕生していたというわけなのです。

家族の数が凄すぎる

4歳で琉球王国の国王になってしまった尚泰ですが、もっとすごいのは、その家族の数です。

尚泰には、妃が1人、夫人が2人、妻が6人います。この数は、一国の王としてはそれほど珍しいことではないのですが、これだけ多くのパートナーがいる為、子供の数もどんどん増えます。

のちに貴族院議員となる長男の尚典を先頭に、直寅・尚興・尚順・尚秀・尚光・尚時。女子は、長女の真鶴金を先頭に、真鍋樽・牧志翁主・嘉手苅翁主・政子・八重子・千代子・公子・佐代子・鈴子・貞子。なんと、子供だけで7男11女の計18名もいるのです。

琉球国王なのに東京に移住させられる

薩摩藩の琉球侵略による薩摩支配や琉球藩の設置を経験した琉球王国は、1879年の琉球処分によって、沖縄県が設置され、滅亡します。

国が滅亡したことによって、国王であった尚泰の運命も、大きく変わっていきます。

廃藩置県によって明治政府に首里城を明け渡してしまった尚泰は、それまでの住まいであった首里城を追い出されます。仕方なく、琉球王家の屋敷の一つである中城御殿へと移った尚泰一家ですが、今度は、明治政府より東京移住を命令されてしまいます。

そこで尚泰は、やむなく東京に移住。身分も、国王から華族へと格下げされます。この時、すでに結婚していた長男や次男、7歳の4男も一緒に東京に移住したといいます。

東京移住した尚泰王のその後

明治政府に東京移住を命じられた尚泰は、その後、59歳で亡くなるまで家族とともに東京で暮らしていたといいます。そのため、現在でも子孫が東京に住んでいます。

東京の移住先はどこ?

東京に移住を命じられた尚泰は、東京の麹町に邸宅をかまえ、亡くなるまで暮らしていたといわれています。

どんな暮らしだったの?

尚泰の身分は、東京移住当初は華族でしたが、その後、侯爵に格上げされました。ただし、現実的には幽閉生活を送っていたようです。

沖縄への帰郷が許されたのも、尚泰の死後でした。ようやく沖縄に戻ることが許された尚泰の葬儀は、故郷の沖縄で盛大に行われたといいます。

最後の国王はどこに埋葬されたのか?

4歳で国王に即位したものの、琉球処分によって身分をはく奪され、最終的に侯爵となったものの、59歳の時に、急性胃腸カタルを発症し亡くなった尚泰。彼は、歴代の第二尚氏王統の国王や王族たちの陵墓・玉陵に埋葬されました。

現在、尚泰が眠る玉陵は世界遺産に登録されており、一般公開されています。

尚泰の長男も玉陵に埋葬されている

琉球王国が滅亡しなければ、第20代国王となっていた尚泰の長男・尚典。彼も、没後は歴代王族の墓である玉陵に納骨されています。

玉陵
  • 住所:沖縄県那覇市金城町
  • 電話:098-885-2861

尚泰の子孫のその後は?

7男11女の子だくさん家族だった尚泰。東京に移住を命じられてから死亡するまで沖縄に帰ることが出来なかった尚泰ですが、一緒に東京に移住させられた子供たちの中には、その後、沖縄に戻ってきた人もいます。

尚典

尚泰の長男で、20代当主です。東京移住の前年に真加戸金と結婚し、移住先の東京で長男・尚昌が生まれます。

その後、1901年に貴族院侯爵議員に就任し、1920年、56歳で死亡しています。現在、尚氏王統の王家の墓・玉陵に納骨されています。

尚昌

尚泰の孫で、尚家21代当主です。1888年に首里出生まれ、1896年に上京。学習院初等科に入学し、旧制学習院高等学科に進みます。父の勧めがあって、旧制学習院高等学科は中退し、オックスフォード大学に留学しています。

帰国後は、宮内省式部官となり、30歳の時に長男の尚裕が生まれます。

32歳の時に侯爵であった父が亡くなったため、尚昌が侯爵を継承。その後、貴族院議員となります。

ただ、尚昌は、不運にも中国旅行中に盲腸炎を発症したのがきっかけで、東京で亡くなります。現在、尚昌は、東京都台東区上野の墓で眠っています。

尚裕

尚泰のひ孫です。東京都台東区に住んでいました。

東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業し、その後、海軍大尉となります。侯爵だった父の死後、侯爵となります。

尚家伝来の子文書や伝承文化財、美術品などの保護につとめた尚裕は、のちに、玉陵や識名園と合わせて那覇市へ寄贈しています。これらの寄贈品の中には、国宝に指定されたものもあります。

1996年には、那覇市の名誉市民となりましたが、住まいはそのまま東京に置き、亡くなるまで東京で過ごします。葬儀は東京で行われましたが、その後、遺骨は伊是名玉陵に納骨されました。

尚衛

尚泰の玄孫です。東京都杉並区に在住しています。長男に、尚猛がいます。

尚猛

尚泰の玄孫の長男で、尚家の23代当主でもあります。現在、沖縄県内で桃原農園という造園業を営んでいます。

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