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沖縄の伝統・文化・歴史

琉球王国を代表する対照的な2人の武将

投稿日:2022年4月5日 更新日:

座喜味城跡

沖縄はかつて「琉球王国」と呼ばれた国。戦国時代には数多くの武将が誕生しました。その中でも琉球の歴史上必ず登場する2人武将がいます。評価が全く違う2人の武将の生涯とそのゆかりの地を紹介します。

琉球第一の武将【護佐丸】

護佐丸は15世紀ごろの琉球王国の武将です。生まれた年については様々な説がありますが、読谷山(現在の恩納村)の出身といわれています。

「琉球第一の武将」とまで言われた護佐丸には様々な伝説と謎があります。

因縁の北山討伐

護佐丸が活躍したのは、長く続いた三山時代から琉球統一に向けて様々な武将たちが活躍した時代です。

そんな護佐丸は曽祖父がかつて居城としていた今帰仁城を奪った北山の討伐に加わり、難攻不落といわれた今帰仁城を攻め落とします。

この時の活躍が認められ、北山地域の監視役として今帰仁城に入ります。

築城家としての名声を手に入れた座喜味城築城

かつての琉球には、様々な地域に城が建てられました。

その多くが地方で勢力を蓄えようとする豪族たちの監視を兼ねた戦略上の要所ですが、中には「名城」と呼ばれるものも存在します。

そんな名城の一つに護佐丸が築城した「座喜味城」があります。

座喜味城は、小高い丘の上に建てられました。場所としての立地条件は非常に良い場所だったのですが、この地域の土地は赤土であり城を築城するには軟弱な土台。

頑丈な城を立てるには不向きだったこの場所に城を作るために、護佐丸はまずは旧居城であった山田城を取り壊します。

そして4㎞離れた座喜味城まで取り壊した石材を運び込み、分厚く頑丈な城壁を作り上げます。

もちろん強度を上げるための石積みの技術は当時の最高レベルでしたが、それ以上に美しい曲線美を兼ね備えていたため「琉球史上最も端正な名城」ともいわれています。

軟弱な地盤に頑丈で見た目にも美しい座喜味城を立てた護佐丸は「築城家」としての名声も手に入れます。

彼が建てた座喜味城は現在その城壁が残るのみとなっていますが、長い年月を経てもかつての名城の姿を彷彿させる美しい城壁は見事です。

座喜味城跡

  • 住所:沖縄県中頭郡読谷村座喜味708-6
  • 見学時間:自由見学
  • 入場:無料

反逆者として自害に追い込まれた最期

琉球統一の立役者であり王府からも絶大な信頼を得ていた護佐丸でしたが、その最期は「反逆者」として謀反の汚名をきせられての自害でした。

そもそも反逆者として謀反を疑われることになったきっかけは、長年の功績によって築き上げた王府との強い信頼関係にありました。

なにしろ護佐丸の娘は六代目琉球国王・尚泰久でしたから、臣下とはいえ護佐丸は王族の一因です。

さらに護佐丸が尚家に使えるようになったのは、護佐丸が二十歳前後のこと。

それから約40年間尚家に忠誠を誓い使い続けてきた護佐丸が、国王からの信頼を得るようになったことは不思議なことではありません。

王府にも強いパイプを持ち、さらに娘が国王に嫁いだのですからその影響力は甚大。

もちろんそのことをよく思わない人物だって当然出てきます。そしてその人物が次に打ったのが「虚偽の謀反の密告」。

もちろん強い信頼関係にあった国王は、すぐにはそのことを信じません。

とはいえ確認のために当時の護佐丸の居城だった中城に密偵を送り込むと、そこには厳重に武装をした中城群の姿が…。

その報告を受けた国王は密告が正しいと思い込んでしまい、王府軍に護佐丸討伐の命令を下します。

王府軍を前にした護佐丸の最期は様々な説があります。

もっとも「悲劇の忠臣」と語り継がれている説では、「護佐丸は無実ながらも手向かうことなく、潔く自害した」とあります。ただ一方では「実は不意を突かれて落城し、自害に追い込まれた」という説や「本当は王府軍によって滅ぼされた」という説もあります。

歴史と伝承の評価が真逆の武将【阿麻和利】

歴史書と伝承の評価が真逆な武将が琉球の歴史にも存在します。それが「阿麻和利(あまわり)」です。

彼も15世紀ごろに活躍した武将で、一説には「琉球第一の武将・護佐丸を自害に追い込んだ人物」とされています。

ところが彼の居城がある勝連地方では「肝高(きむたか)」と呼ばれ地元の英雄として尊敬されています。真逆の評価を持つ阿麻和利の生涯はどんなものだったのでしょうか?

幼少期にもさまざまな伝承が存在する阿麻和利

伝説の人物にはその幼少期にも様々な伝承が存在します。まさに阿麻和利もその一人といえます。

現在の嘉手納町屋良に生まれたとされている阿麻和利ですが、生まれながらにして非常に体の弱い子供だったといわれています。

父は屋良城主(一説には屋良城の武士ともいわれている)、母や農民の娘という阿麻和利は、7歳になっても歩くことが出来ないような軟弱な子供だったため「武士の名を汚す子」といわれてガマに捨てられてしまったといいます。

ガマに捨てられた阿麻和利がどのようにして育ったのかについては定かではありません。

ただ「母親がガマで隠れて育てた」という説もあれば、「ガマにいたところを中国人の商人に見つけられてそのまま中国で育った」という説もあります。

いずれにしても謎の多い幼少期を過ごしていたことは確かです。

打ち網を発明し人々から尊敬されるようになった?

何はともあれ苦労の多い幼少期を送ってきたとされている阿麻和利ですが、青年期を迎える頃になると身体もたくましくなり山を下りて城の仕事を始めるようになります。

主に馬の世話をする仕事をしていたといわれており、その仕事ぶりは城主にも一目置かれるほどだったといいます。

城の仕事の合間に阿麻和利は漁に使う打ち網を発明したといいます。

なんでも蜘蛛の巣が糸を張って獲物を捕らえる様子からヒントを経て発明したという打ち網の効果は抜群で、魚を捕っては村人たちに分け与える気前の良さもあったといいます。

この頃から阿麻和利の評判は徐々に上がり、村人の人望を集めるような存在になっていきます。

クーデターから勝連の按司、さらには王族へ

村人からの人望も厚く仕事ぶりも高く評価されるようになった阿麻和利が仕えていたのが、「暴君」といわれ家臣や村人たちから嫌われていた勝連城主でした。

そんな城主を滅ぼすために家臣たちは阿麻和利にクーデターを持ち掛けます。そのクーデターには村の百姓たちも加わり、計画は無事に成功。

そして新たに城主となったのが阿麻和利です。

勝連城主となった阿麻和利は、海外との貿易を通じて富と武力を蓄えます。

そのことによって琉球国内にある地方都市のひとつでしかなかった勝連は、日本の京都や鎌倉に匹敵するような街へと進化します。

ここまでくるとさすがに「たかが地方の按司」とは言えなくなります。次々と勢いを増していく阿麻和利の存在は「王府の脅威」にまで成長していました。

そこで国王は政略結婚として自分の娘を妻に娶らせます。これによって阿麻和利は王族の仲間入りをします。

勝連城址

  • 住所:沖縄県うるま市勝連南風原3908
  • 見学時間:自由見学

謎の多い死を遂げた阿麻和利

阿麻和利がその生涯を閉じたのは、国王の娘を妻に娶ってからわずか数年後のことです。

阿麻和利の名が歴史上もっともクローズアップされることになるのが、「琉球第一の武将」と呼ばれた護佐丸の死です。

実は護佐丸が王府への謀反を企てていると虚偽の密告をしたとされているのが阿麻和利。そして護佐丸征伐を国王から命じられたのが阿麻和利。

ところが皮肉なことに阿麻和利に嫁いだ国王の娘・百度踏揚(ももとふみあがり)は、護佐丸の外孫に当たる女性だったのです。

そして護佐丸の自害のあとの阿麻和利と百度踏揚の運命は、悲劇の結末へと急加速していきます。

護佐丸を打ち取った阿麻和利は、凱旋すると今度は首里王府を攻める準備を始めます。

そのことを察した百度踏揚の従者は、すぐさま彼女を背負い首里に避難します。

そして従者によって阿麻和利の企てを知った国王は、2人を追いかけてきた勝連軍を迎え撃ち、さらにそのまま勝連城を攻め阿麻和利を討ち取ります。

政略結婚だった阿麻和利と百度踏揚の間には子供がいなかったため、阿麻和利の栄華は一代限りで終わりを告げます。ただこの結末は、あくまでも琉球の歴史上の物です。

護佐丸の子孫はその後も長らく琉球王府の中枢で活躍し、彼らによって琉球の歴史書は残されてきました。

そのことも影響しているのか、歴史上での阿麻和利の評価は「逆賊」とされています。ところが伝承では「勝連の英雄」「志高き人物」として今も尊敬の対象となっています。

出生からその最期まで謎の多い武将・阿麻和利。そんなミステリアスなところも護佐丸とは対照的といえます。

因縁の2人が見た景色を見に行ってみませんか?

琉球を代表する2人武将は、生き方も伝承も全く違います。でもこの2人がかつて城の上から見ていた景色は今もまだ残っています。

それが「座喜味城跡」と「勝連城址」。城から見える景色も城壁の作り方も全く違う2つの城からは、遠く離れた首里の方向を眺めることが出来ます。

「琉球を代表する2人の武将はどんな想いで首里の景色を見ていたのか」

まだ誰も見つけていない琉球ミステリーの答えを見つける旅にあなたも出かけてみませんか?

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